社交ダンス物語 365 続・真冬のキッチン

コラム

 寒い日が続きます。日本の四季は風情があるとはいえ、自分は寒いのは大の苦手です。例えるならば、真冬のゴキブリ状態。(ハエたたきで、一発でポン?)暖房のない病院の講堂で、ノロノロとダンスの練習をしています。雪国生まれ、雪国育ちとはいえ、2月は気が滅入ってしまう季節。日本の四季が耐えきれなくて、海外へ移住なさった有名人もいらっしゃるくらいですから。
「♪春~よ 来い! はぁ~やく 来い!」
キッチンでお湯を沸かして暖をとり、相馬御風の唄を口ずさみます。かつて真冬のキッチンは、我が家で一番温かくて快適な場所と申し上げました。(第341話)帰宅して真っ先にすることは、キレイキレイ泡ハンドソープで手洗いをします。それからキッチンへ向かい、冷蔵庫の扉を開けます。日本酒を取り出し、江戸切子のおちょこに注いでグイっ。ウォッカを愛するロシア人のキモチ、分かる分かる。(笑)
 
 さて、ロシアといえば、幼い頃に祖父(第183話)からお話を聞かされていました。第二次世界大戦の終戦の後、日本軍捕虜はシベリア抑留されました。祖父もその1人。そこでは激寒の環境下で満足な食事も与えられず、過酷な労働を強制されたそうですね。祖父の話によると、あまりもの寒さで、おしっこが凍ったそうです。(マイナス50度を超えると凍るらしい)粗末な食事だったそうですが、ご褒美にイワシが与えられた日もあったそうです。干したイワシ。カチカチだったそうです。まるまる一匹はもらえず、二人で一匹を半分こしたそうですよ。丁寧に半分に切ったイワシを目前にして、頭の方をとるか、しっぽを選ぶか、相方と悩みに悩んだそうですね。それに比べると、寒いとはいえ我が家のキッチンで暖をとりながら、何ら悩むことなく柔らかなイワシの缶詰をつまみ、日本酒を飲んでいる自分はなんてありがたい!
 
 そう、令和の現代人、「寒い!」だなんて文句は言っていられません。湯気の沸き立つ真冬のキッチンに立っていられるなんて、贅沢で幸せですわ。かつて強制労働にあたり、日本人捕虜はロシア軍人から職業を問われたそうです。僧侶である祖父は「農夫」と答えたそうです。(おじいちゃま、ウソも方便なの?) 当時、職業を問われた時は農夫と答えるのが無難と入れ知恵されていたそうです。正直に「僧侶」と答えていたら、祖父の扱いはいかに? 農夫にとっての労働は、木を伐採すること。一日一本がノルマだったそうです。朝、一斉にノコギリ置き場へ捕虜達は走ります。銘々が選んだノコギリを手にとり、日が暮れるまで木の伐採です。祖父は走るのが遅いので、ノコギリ置き場へ着いたら、一番最後。残っているノコギリは歯が欠けていたり、サビてキレの悪そうなものばかり。普段はお念珠やお経の本よりも重いものを持つことのない祖父です。そんなお坊さんがキレの悪いノコギリで、ギーコ・ギーコと木の伐採にチャレンジ。労働ノルマを果たせず、日が暮れてもギーコ・ギーコ。
「お前は本当に農夫か?」
ロシア兵はそう言って、心配そうに祖父を見守っていたとか。(涙…苦笑)
 
 「真冬のキッチン」から、祖父の「シベリア抑留」へ話が熱くなっていました。寒いとはいえ、極寒のシベリアに比べれば、雪国の真冬のキッチンは天国です。先日はボルシチを作りました。世界を代表するスープとして知られていますね。牛のすね肉をコトコト煮込みます。ビーツの鮮やかな赤色のスープに、真っ白なサワークリームと緑のディルをトッピング。ニンジン、タマネギ、キャベツも入っていて、栄養がたっぷり取れる見た目にも美しい一皿です。お坊さんである弟(第158話・第159話)に届けたら、絶賛してくれました。真冬のキッチン、そこは暖がとれて、ダンスの練習も出来て(第341話)、世界のお料理作りに挑戦できるマジカルな所。世の中、まだ知らない美味しいお料理は沢山あることでしょう。ワクワクしますね。ちなみに世界4大スープといえば、タイの「トムヤムクン」、中国の「フカヒレスープ」、フランスの「ブイヤベース」、そしてロシアの「ボルシチ」。ボルシチの本家本元はウクライナだそうですよ。そうそう、寒い冬は日本の「ミソスープ」も暖まりますね。隠し味には、唐辛子を発酵させた新潟生まれの万能調味料「かんずり」がイチオシです!(笑)
 
☆真冬のキッチンを謳歌しましょう。
著者 眼科 池田成子