コラム

社交ダンス物語

2010/08/17更新

社交ダンス物語 45 「夏の思い出 幼き日のビアガーデン」

夏の思い出 幼き日のビアガーデン


 幼き日の父の思い出といえば、夜の社交場だ。40年近くさかのぼるが、父は私をクラブやホテルのバー、ビアガーデンなどへ連れていってくれた。作曲家であり、アカデミー女性合唱団の指揮をつとめていた父の周りには、いつも着飾った女の人達がいた。煙草の煙と香水が薫る薄暗いバーで、父から少し離れた席に座り、子供の私はひとりジュースを飲みながら大人達を窺っていた。
「今夜は、こぶつきでしてね。」
父はそう言って、にっこり笑って会釈する。今から思えば、父は『こぶ』を逆手にとって夜を楽しむという、粋な『遊び人』だったようである。

 父に連れられて行った夜の社交場で、幼い私が一番好きだったのは、某ホテルの屋上にあったビアガーデンだ。無数の電燈によるイルミネーション、そして夜空にピンク色に浮かび上がるボンボリはおとぎの国をイメージさせ、幼心をわくわくさせた。バンドの生演奏に耳を傾け、コーラをいただいた幼き日の夏の思い出は、今も鮮明に残っている。

 ところで、お隣の県出身のリーダー君も,20年前に偶然にも同ホテルのビアガーデンに行ったことがあるという。当時20代で、柔道の師範をしていたという彼は、財布の中身を気にしながらも、ゆったりと流れる時間を楽しんだそうだ。ということもあり、このたび懐かしのビアガーデンへ、二人でタイムスリップすることにした。

 土曜日の夕刻、高田のダンススクールでレッスンを終えると、高速道路を飛ばして富山へと向かう。かつてのビアガーデンは今も健在、生ビール飲み放題、ホテルシェフの和洋中華料理食べ放題で、2時間大人ひとり3700円という。35年前は、おつまみの品数は2、3種類。枝豆、チーズとクラッカーにサラミが上品にお皿に盛りつけられていた記憶がある。

 ビアガーデンに到着。そこは35年前とは、あまりにも様変わりしていた。詰め込めるだけの客が、詰め込まれている。ぶつからないでテーブルの間を歩くのがやっとだ。まるでダンスの競技会場の、練習タイムのフロア状態。かつてのような生バンドによる演奏や、イルミネーションはない。豆電球とそのコードが屋上の柵に掛かっているが、省エネのためか電燈はついていない。
「同じ場所とは思えないわ」
「20年前は、テーブルは今の半分もなかったよ。」
リーダー君も驚いている。たしか35年前は、広いオープンスペースの真ん中に野外ステージがあって、丸いテーブルが、ぽつんぽつん…。

 これも時代のすう勢だ。ホテルのプライドだけじゃ、やってゆけない。2時間食べ放題の場で、優雅でゴージャスな時間を期待する方が、図々しいというものだろう。3700円を支払い、入場時間19:40と書かれた紙切れを手渡された私とリーダーは、ご馳走が並べてあるブースへと、いざ出陣!
「ないっ!」
 和洋中のバイキングということで、エビチリとお寿司を期待していたのだが、大皿の中は空っぽだ。一方、その横に置いてある焼そばと、こんにゃくの煮物は、沢山残っている。
「お寿司の補充はありますか?」
ホテルの従業員に聞く。
「ございません」
遅い時間に来たのが、たたったようだ(涙)。
 ふと見ると、エビチリのエビが2匹、焼そばのトレイの中に落ちていた。お客さんの誰かが、落としていったのだろう。素早くエビを拾い上げると、一匹リーダー君におすそわけ(笑)。

 熱気と喧噪の中で、むせるような熱帯夜を想わせていたビアガーデンも、終了間際となると客が退け、静かな空間へと姿を変えた。そこには、数組のカップルの姿しか見られない。心地よい風が、広いオープンスペースを吹き抜ける。そしてそこは幼き日の、父と過ごした懐かしき昔日を彷彿させた。
「椅子とテーブルをとっぱらって、ワルツが踊れたら最高だ」
「そうよね。生バンドの演奏で踊れたら、どんなに素晴らしいでしょう」
    ……… テネシーワルツの曲に合わせて ♪ ………

若くしてこの世を去った父との、夏の思い出に乾杯!
そして今日という日を、リーダー君と共にしたことに、乾杯!



著者名 眼科 池田成子

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