沿革History

昭和13年3月
上越医療購買利用組合連合会上越病院の糸魚川分院として開院
所在地:糸魚川市寺町4丁目3-1
木造2階建て、病床数23床・全職員数は15人(内看護婦5人)
昭和14年9月
第二病棟増築 (病床数35床)
昭和16年3月
上越病院糸魚川分院から糸魚川病院へ改称
9月
第三病棟増築(病床数55床)
昭和18年4月
新潟県農業会に組織変更
11月
看護婦寄宿舎が竣工
12月
看護婦養成所の指定(昭和19年開設)
昭和22年8月
第四病棟増築(病床数75床)
昭和23年9月
新潟県生産農業協同組合連合会に組織変更
昭和26年5月
内部改築(病床数95床)
8月
厚生連 公的医療機関に指定
昭和27年4月
現在の新潟県厚生農業協同組合連合会に経営移管
厚生連病院として再スタート
診療科:内科、小児科、外科、産婦人科、耳鼻咽喉科の5科
総員50人(医師数5人、看護婦19人、薬剤師1人など)病床数85床
昭和28年4月
准看護婦養成所開設
10月
一部改築118床(一般44床、結核74床)
昭和31年3月
結核病棟増築(西頚城結核予防組合委託事業)
准看護婦養成所廃止
昭和37年12月
手術棟完成
昭和38年7月
伝染病隔離病棟30床増築(衛生管理組合建設)
(病床数175床:一般95床・結核50床・伝染30床)
昭和40年4月
准看護婦養成所再開設
昭和41年4月
救急告示病院認可
昭和43年3月
旧病棟改築194床(一般120床・結核44床・伝染30床)
昭和44年3月
准看護婦養成所閉鎖
昭和48年7月
本館・診療棟改築
昭和49年3月
結核病棟 無償譲渡
11月
伝染病棟 無償譲渡
昭和52年1月
病棟改修工事 160床(一般121床・結核9床・伝染30床)手術棟、検査棟整備
昭和53年2月
結核病棟:一般病棟変更承認 160床(一般130床・伝染30床)
昭和57年5月
人工透析室増築 人工透析治療開始
昭和60年10月
結核病棟、伝染病棟を閉鎖(一般病棟に改造:一般165床)
昭和61年4月
夜間透析開始
平成元年4月
現在地:竹ヶ花に移転用地確保
平成2年7月
新病院起工式
平成3年11月
現在地:糸魚川市竹ヶ花に新病院竣工
12月
病院移転新築・総合病院認可
糸魚川総合病院(一般220床12診療科)
人工透析31床
平成5年4月
併設介護老人保健施設「なでしこ」80床開設
平成8年11月
災害拠点病院指定
平成9年4月
在宅介護支援センター開設(糸魚川市委託事業)
8月
訪問看護ステーション「いといがわ」開設
平成11年4月
療養型病床群(第五病棟)49床増床(医療:19 介護:30)(総病床数269床)
健診センター「すこやか」独立部門として整備
10月
居宅介護支援事業所開設
平成12年4月
介護保険法施行に伴う介護保険事業者指定・地域ケア課開設
平成13年11月
災害時備蓄庫竣工
平成15年2月
へき地中核病院 認可
5月
療養型病床群 病棟区分変更 医療30床 介護19床
平成16年3月
基幹型臨床研修病院指定
協力型臨床研修病院指定(富山大学 旧:富山医科薬科大学)
平成17年9月
療養型病棟 病棟区分変更 医療49床 介護(廃止)
協力型臨床研修病院指定(新潟大学)
10月
開放型病床開設
平成18年1月
亜急性期病床(4床)開設
2月
日本医療機能評価機構認定病院
審査体制区分3(Ver.4.0)
認定期間 2006年2月20日~2011年2月19日
6月
5病棟(49床)一般病棟(特殊疾患療養病棟入院料2)へ転換
平成20年4月
循環器棟増改築
6月
5病棟(49床)一般病棟(障害者施設等入院基本料)へ転換
平成22年2月
糸魚川総合病院 地域包括支援センター開設
平成24年10月
救急外来棟 竣工
平成25年11月
新潟DMAT隊指定医療機関認定
平成26年3月
短期入院協力病院指定(国土交通省)
平成26年4月
DPC対象病院
平成26年11月
総病床数261床に変更
平成27年5月
地域包括ケア病棟改修工事
平成27年10月
準高度急性期病床(8床)改修
平成31年4月
富山大学寄附講座「糸魚川・地域医療支援学講座」開設
令和2年2月
糸魚川膵臓・胆道センター開設
令和2年9月
原子力災害医療協力機関登録
令和3年3月
介護老人保健施設「なでしこ」閉所
  • 記録に残っている範囲で記載になりますのでご了承ください。